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大分地方裁判所 昭和27年(わ)151号 判決

主文

被告人後藤秀生を懲役十年に、被告人坂本久夫を懲役八年に、被告人後藤守、同阿部定光を各懲役三年に、被告人藤井満を懲役一年に処する。

未決勾留日数のうち、被告人後藤秀生、同坂本久夫に対しては、いずれも八百日を、被告人後藤守、同阿部定光に対してはいずれも百二十日を右各本刑に算入する。

被告人藤井満に対しては、この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用のうち、証人柴尾千代子、同柴尾諫作に各支給した分はこれを被告人後藤秀生の単独負担とし、証人山梨一郎、鑑定人後藤文一、同野上量平に各支給した分及び併合前の当庁昭和二十七年(わ)第二百十一及び百五十一号被告事件の記録中に編綴の各請求書にともずき証人久保軍治、同後藤又六、同河野伝、同堀忠義、同菅忠愛、同神野忠純、同末永進、同宮野勇、国選弁護人加藤虎之丞、同工藤日出男、同斎藤孝知に各支給した分はいずれもこれを被告人後藤守の単独負担とし、鑑定人平田寿、同藤内清八に各支給した分及び併合前の当庁昭和二十七年(わ)第二百十二号被告事件の記録中に編綴の各請求書にもとずき証人末永進、同鮫島正男、同松野晋吉、同清武ハル子、同大内米造、同河野文夫、国選弁護人工藤日出男に各支給した分はいずれもこれを被告人阿部定光の単独負担とし、証人藤原〓、同二子石正行、同本田文生に各支給した分はいずれもこれを被告人藤井満の単独負担とし、併合前の当庁昭和二十七年(わ)第二百八号被告事件の記録中に編綴の各請求書にもとずき証人山村幸男、同西野徳太郎、同村田克己、同松川武雄、同秋月転、同菅忠愛、同岡本鶴一、同渡辺義人、同小林幸夫、同吉田彰、同大戸三郎、同工藤〓次、同深見暢人、国選弁護人加藤虎之丞、同羽田野忠文、同河野春馬、同工藤日出男、同斎藤孝知に各支給した分はいずれもこれを被告人後藤秀生、同坂本久夫の平等分割負担とし、併合後の当庁昭和二十七年(わ)第百五十一、二百十一、二百八、二百十二、三百十五、三百十六、三百十七及び二百九十九号被告事件の記録二冊中に編綴の各請求書にもとずき証人後藤始、同森下仁一、同坂梨義丸、同加藤久、同工藤八重子、同菅範子、同池田耕三、同河野伝、同相原君子、同茂木甚吉、同椎原秋生、同佐藤卓夫、同菅忠愛、同工藤〓次、同安部ウメ、同堀光清、同金原辰雄に支給した分はいずれもこれを被告人後藤秀生、同坂本久夫、同後藤守、同阿部定光、同藤井満の平等分割負担とし、証人後藤彦馬に支給した分のうち昭和二十八年八月十九日付請求書にもとずく分はこれを被告人後藤秀生、同坂本久夫、同後藤守、同藤井満の、同年十月二日付請求書にもとずく分はこれを被告人後藤秀生、同坂本久夫、同後藤守、同阿部定光、同藤井満の各平等分割負担とし、証人阿南房代、同菅みどりこと高木みどり、同有吉徹、同和田武浩、同早川弘、同三原嘉一郎、同中路和也、鑑定人柴橋博展に各支給した分はいずれもこれを被告人後藤秀生、同坂本久夫、同後藤守、同阿部定光の平等分割負担とし、併合前の当庁昭和二十七年(わ)第三百十五、三百十六、三百十七及び二百九十九号被告事件の記録中に編綴の請求書にもとずき国選弁護人工藤日出男に支給した分はこれを被告人後藤秀生、同後藤守、同阿部定光の平等分割負担とし、国選弁護人山下昇に支給した分はこれを六分しその五を被告人藤井満の単独負担、その一を被告人後藤秀生、同坂本久夫、同後藤守、同阿部定光の平等分割負担とし、併合前の当庁昭和二十七年(わ)第三百十五、三百十六、三百十七及び二百九十九号被告事件の記録中に編綴の各請求書にもとずき証人大戸三郎、同佐藤健一、同後藤澄吉、同後藤照子、同佐藤金平、同佐藤テツ、同後藤直、同板井悟、同小林幸夫に各支給した分はいずれもこれを被告人後藤秀生、同後藤守、同阿部定光、同藤井満の連帯負担とし、鑑定人松川武雄、証人藤野君子、同後藤みゆきに各支給した分及び併合前の昭和二十七年(わ)第三百十五、三百十六、三百十七及び二百九十九号被告事件の記録中に編綴の請求書にもとずき証人加藤久に支給した分はいずれもこれを被告人後藤秀生、同後藤守、同阿部定光の連帯負担とし、証人後藤重信、同市原源吉に各支給した分はいずれもこれを被告人後藤秀生、同藤井満の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人後藤秀生は、治安を妨げ又は人の身体、財産を害しようとゆう目的をもつて、

(一)、昭和二十七年四月下旬から同年六月二日までの間、当時の大分県直入郡菅生村(現在竹田市)大字菅生字下菅生八百十五番地の菅忠愛方において、同人に対し保管方委託をして爆発物であるダイナマイト十本(押検第二号のうち十本)、雷管十八個(うち一個導火線約五糎付―押検第三号)及び爆発物の爆発を惹起すべき装置に使用する器具である長さ約五米の導火線一本(押検第一号のうち)を所持していた

(二)、同年五月八日、当時の同県大分郡判田村(現在大南町)大字下判田千三百三十九番地の柴尾諫作方において、村田克己から、ダイナマイト十五本位、雷管十二個位及び長さ約五米の導火線一本等の前同様爆発物並に器具を譲り受けてこれらを所持していた

(三)、同年六月一日頃、前記菅忠愛方において、これよりさき右村田克己から氏名不詳の者を通じ譲与を受けた前同様爆発物並に器具の一部であるダイナマイト十七本位(押検第二号のうち十四本及び押検第二十九号)、雷管十三個位(押検第三号の二、押検第三十四、三十六及び三十七号)及び導火線長さ約九米数十糎(押検第一号のうち)をそのうちのダイナマイト十四本(押検第二号のうち十四本)、雷管十個(押検第三号の二)及び導火線長さ約九米三十糎(押検第一号)を菅忠愛に保管方委託するまで所持していた

第二、被告人後藤守は、

(一)、法定の除外事由がないのに、昭和二十七年四月十五日、当時の前記菅生村内において、刀剣類である刃渡約十五糎のひ首一ふり(押検第百五十四号)を自ら携帯して所持していた

(二)、同年六月頃、当時の前記判田村大字上判田五千二百四十六番地の自己の父後藤又六方において、雷管に導火線を装置した爆発物一個(押検第百五十一号)を隠匿所持していたものであるが、その所持が治安を妨げ又は人の身体、財産を害しようとする目的によるものでないことを証明することができない

第三、被告人阿部定光は、昭和二十七年三月十七日、竹田市山手にある九州電力株式会社竹田第一発電所の前道路上において、雷管に導火線を装置した爆発物一個(押検第二百一号)を自ら携帯して所持していたものであるが、その所持が治安を妨げ又は人の身体、財産を害しようとする目的によるものでないことを証明することができない

第四、被告人藤井満は、外一名の者と共に、昭和二十六年十二月二十八日頃の夜、前記菅生村内の桜の馬場と通称する地点附近の県道上において、折柄同所附近を帰宅途中の藤原〓に対しいいがかりをつけたあげく、右外一名の者と共に、同じ頃、同人をその附近の道路端に引き倒したり、自らは手拳で、外一名の者は鳶口で藤原の顔面や腕等を交々殴打したり等して同人に対し暴行を加え、よつて同人の右耳部、口唇部及び左前膊部に全治まで約十日間を要する傷害を蒙らせたが、その傷害の軽重を知ることができず又その傷害を生じさせた者を知ることはできない

第五、被告人後藤秀生、同藤井満等は、共謀の上、昭和二十七年一月一日の夜頃、当時の前記菅生村大字小塚字平井の河野正文方で、同人に対し、「出て来い、出て来んと叩き殺すぞ」等と口々に申向けて、同人の生命、身体に対し害を加うべきことをもつて同人を脅迫した

第六、被告人後藤秀生、同後藤守、同阿部定光、同藤井満等は、共謀の上、昭和二十七年一月二十七日頃、前記菅生村大字今六百八十一番地の一佐藤卓夫方で、同人所有、保管の牡牛一頭を窃取した

第七、被告人後藤秀生、同坂本久夫等は、共謀の上、治安を妨げる目的をもつて、前記菅生村大字菅生字下菅生千百十四番地の二にあつた同村所有、駐在所勤務巡査大戸三郎及び同人の妻大戸ミチ子居住、瓦葺木造平屋建間口約五間、奥行約四間半の当時の国家地方警察大分県竹田地区警察署菅生村巡査駐在所の建物の一部を爆発物を使用して損壊し同建造物財産を害しようと企て、昭和二十七年六月二日午前零時過頃、同巡査駐在所前に到り、かねて準備をしその場に携えて来た砂や小石等をいれたガラス瓶中にダイナマイト、雷管及び導火線等をその導火線の瓶の口から出た部分に点火をすればやがては爆発を惹起するように装置した爆発物の導火線の右部分に所携の燐寸をもつて点火してそれを折柄前記大戸巡査夫婦在宅中の同駐在所建物の外部から同駐在所事務室の窓ガラスを破壊通過させて同室内に投げこみ右導火線の火をガラス瓶中の雷管等に導かせ直ちに前記爆発物を爆発させてこれを使用し、よつて同駐在所の建物の一部である右事務室の床板の一部等や同室内の建具及び椅子等を損壊した

ものである。

(証拠の標目)

判示第一の(一)の事実は、

一、証人山村幸男、同西野徳太郎、同大戸三郎、同渡辺義人、同小林幸夫、同秋月転が当公廷でした各供述

二、当裁判所が昭和二十七年十月二十八日した検証の検証調書(但し併合前の当庁昭和二十七年(わ)第二百八号被告事件の記録中)

三、取寄に係る菅忠愛に対する爆発物取締罰則違反被告事件の記録中菅忠愛の検察官に対する昭和二十七年六月四日付、同月六日付、同月七日付、同月八日付、同月九日付、同月十一日付、同月十二日付、同月十三日付、同月十四日付、同月十五日付二通及び同月十九日付二通の各供述調書(順次、検第三百六乃至三百十八号)

四、菅忠愛に対する昭和二十七年六月十七日付、工藤〓次に対する同月十八日付裁判官の各証人尋問調書(前者検第九十七号後者検第九十八号)

五、取寄に係る菅忠愛に対する前記被告事件で押収の導火線二巻(押検第一号)、ダイナマイト二十四本(押検第二号)及び雷管十八個(押検第三号の一)の各存在

を綜合してこれを認め、

判示第一の(二)の事実は、

一、証人大戸三郎、同柴尾千代子、同柴尾諫作、同渡辺義人、同小林幸夫が当公廷でした各供述

二、取寄に係る村田克己に対する爆発物取締罰則違反被告事件の記録中村田克己の検察官に対する昭和二十七年六月十四日付、同月十五日付、同月十六日付、同月十八日付、同月十一日付及び同月十三日付各供述調書(順次、検第三百十九乃至三百二十四号)

三、前掲検第三百六乃至三百十八号、検第九十七及び九十八号

四、取寄に係る押検第十二号の村田克己に対する前記被告事件で押収の後藤秀生の手紙一冊の存在並にその記載

を綜合してこれを認め、

判示第一の(三)の事実は、

一、証人山村幸男、同西野徳太郎、同大戸三郎、同柴尾千代子、同柴尾諫作、同渡辺義人、同小林幸夫、同秋月転が当公廷でした各供述

二、前掲検第三百六乃至三百十八、九十七、九十八、三百十九乃至三百二十四号

三、前掲当裁判所の検証調書

四、押収してある押検第二十九号のダイナマイト三本、押検第三十号の導火線二本、押検第三十四及び三十七号の各雷管一個、押検第三十五号の爆発物入りビール瓶一本及び押検第三十六号の雷管付導火線の各存在

五、取寄に係る前記菅忠愛に対する被告事件で押収の雷管十個入小罐一個(押検第三号の二)の存在

六、前掲押検第一、二及び三の一、十二号の各存在

を綜合してこれを認め、

判示第二の(一)の事実は、

一、併合前の被告人後藤守に対する銃砲刀剣類等所持取締令違反被告事件の昭和二十七年五月二十六日の第一回公判期日の公判調書中同被告人の自分が判示日時、場所において判示押検第百五十四号(併合前の昭和二十七年(わ)第百五十一号被告事件の押検第一号)のひ首一ふりを所持していたことは間違いない旨の供述記載

二、被告人後藤守の検察官山梨一郎に対する昭和二十七年四月二十三日付供述調書(検第二百二十三号)の記載の一部

三、併合前の被告人後藤守に対する前記被告事件の昭和二十七年六月十二日の第二回公判期日の公判調書中鑑定人野上量平の供述記載

四、司法警察員が作成した被告人後藤守に対する現行犯人逮捕手続書(検第二百十八号)の記載

五、司法警察員が作成した昭和二十七年四月十五日付のひ首一ふり等の差押調書(検第二百十九号)の記載

六、大分県教育委員会名義、大分市警察署長宛の「刀剣類等の登録事実について」と題する昭和二十七年四月十九日付書面(検第二百二十一号)の記載

七、押収してある前記押検第百五十四号のひ首一ふり及び押検第百五十五号(併合前の昭和二十七年(わ)百五十一号事件の押検第二号の)袋一枚の各存在

を綜合してこれを認め、

判示第二の(二)の事実は、

一、証人久保軍治、同後藤又六、同堀忠義、同菅忠愛、同神野忠純、同末永進が当公廷でした各供述

二、写真附報告書(検第二百二号)

三、証人河野伝に対する裁判官の昭和二十七年七月二日付証人尋問調書(検第二百十七号)

四、押収してある押検第百五十一号(併合前の当庁昭和二十七年(わ)第二百十一号事件の押検第一号の)雷管一個の存在

五、本件の記録並に証拠物に徴して、判示所持が判示目的によるものでないことを証明するに足りる証拠がない事実

を綜合してこれを認め、

判示第三の事実は、

一、証人清武ハル子、同大内米造が当公廷でした各供述

二、併合前の被告人阿部定光に対する爆発物取締罰則違反被告事件の昭和二十七年九月十七日の第二回公判期日の公判調書中証人末永進、同鮫島正男、同松野晋吉の各供述記載

三、司法警察員が作成した昭和二十七年六月九日付実況見分調書(検第二百五十五号)

四、司法警察員が作成した昭和二十七年三月十七日付領置調書二通(検第二百五十一及び二百五十七号)

五、押収してある押検第二百一号(併合前の当庁昭和二十七年(わ)第二百十二号被告事件の押検第一号)の爆発物一個、押検第二百二号(併合前の前記第二百十二号被告事件の押検第二号)の爆発物を包んで捨てた紙片及び押検第二百七号(併合前の前記第二百十二号被告事件の押検第七号)の写真五葉の各存在

六、本件の記録並に証拠物に徴して、判示所持が判示目的によるものでないことを証明するに足りる証拠がない事実

を綜合してこれを認め、

判示第四の事実は、

一、証人藤原〓、同二子石正行が当公廷でした各供述

二、当裁判所が昭和二十七年十月二十八日被告人藤井満に対する傷害被告事件等につきした検証調書(但し併合前の当庁昭和二十七年(わ)第三百十五、三百十六、三百十七及び二百九十九号被告事件の記録中)

三、医師本田文生が作成した藤原〓に対する診断書(検第百八十一号)

を綜合してこれを認め、

判示第五の事実は、

一、河野正文の昭和二十七年七月五日付、堀国男の同月八日付、後藤重信の同月九日付検察官に対する各供述調書(順次、検第百五十一乃至第百五十三号)

二、当裁判所が昭和二十七年十月二十八日被告人後藤秀生、同藤井満に対する各脅迫被告事件等につきした検証の検証調書(判示第四の事実を認定する際その二の証拠として引用した前掲検証調書と同一のもの)

を綜合してこれを認め、

判示第六の事実は、

一、当裁判所が昭和二十七年十月二十八日被告人後藤秀生、同後藤守、同阿部定光、同藤井満に対する各窃盗被告事件等につきした検証の検証調書(判示第四の事実を認定する際その二の証拠として引用した前掲検証調書と同一のもの)

二、証人佐藤卓夫に対する当裁判所の昭和二十七年十月二十九日付証人尋問調書(特に、昭和二十七年一月二十八日午前六時三十分頃、自宅で起床してみたら、自分の家の厩につないであつたその前夜までいた五歳の下り角で根元は大きくて長さは短い角を持つた黒毛中肉の自分所有の牝牛がいなくなつており、厩の表口にたてかけてあつた乾草が右側にかたよせられてあり厩の前にある梨の木の下のあたりの霜のおりた地面の上に牛の足跡やゴム長靴、ズツク靴のすりきれたもの、地下足袋等の足跡らしいものが残つていたので、数名の者が牛を盗み出して引いていつたものと考え、その日の午前六時四十分頃自宅を出発し霜や氷つた土の上に残されていたそれらの足跡を消防団員の人等と共にたどつていつたところ、前記一の検証調書添付第一見取図記載の〈チ〉点から先はそれらの足跡がなくなつていた。その後同年四月か五月頃後藤彦馬が住んでいた家附近の畑の中から警察の人が牛の骨や角を堀り出すのに自分も二回立会つたが、押検第百一号乃至第百五号はいずれも一回目に堀り出されたものであつて、押検第百一号は堀り出されたときはまだ骨についていたもので自分方のいなくなつた牛の右角に相違なく、又押検第百三、百四及び百五号はいずれも自分方のものであり、押検第百七、百九、百十及び百十一号等はいずれも二回目のとき堀り出されたもの、押検第百八号は右後藤彦馬方北側約三米の草原の中から自分が発見し持ち帰つて警察に提出したものである旨の供述記載)

三、証人松井正道に対する当裁判所の昭和二十七年十月二十九日付証人尋問調書(特に、昭和二十七年一月下旬頃で旧正月の元日にあたる日の朝、自分がまだ判示菅生村の自宅に寝ていた際、父から起されて父が「佐藤卓夫方の牛が盗まれたそうだから行つて見よ」というので、佐藤方へ行くつもりで自宅を出て西方へ向つたところ、佐藤卓夫等数名の者に出会い、地面に牛の足跡が残つていたので、その足跡をたどつて進んだが、それから南は草原となつている前記一の検証調書添付第一見取図記載の〈チ〉点から先は牛の足跡がなくなつていた、それから煙草の火を借りたくもあるし又後藤秀生が当時農地問題で佐藤卓夫を攻撃していたから後藤があやしいとも考えて、同日午前七時頃右見取図〈リ〉点にあつた当時の後藤彦馬方へ立寄つたところ、同家の茶の間に後藤秀生、藤井満外二、三名の者がいた旨及び自分が後藤方を出るときには藤井満が外まで出て自分を見ていた旨の各供述記載)

四、証人松井二一、同松井末彦、同松井泉に対する当裁判所の昭和二十七年十月二十九日付各証人尋問調書

五、(一)証人佐藤健一、(二)後藤照子、(三)同佐藤金平、同佐藤テツに対する当裁判所の昭和二十七年十月三十日付各証人尋問調書(特に(一)の調書のうち、判示日時頃、後藤彦馬方は自分の家の裏にあたつていたが、当時は彦馬及び後藤秀生の妹は後藤方にはいなかつた旨及び昭和二十七年の旧年末頃の朝後藤秀生が自分のところに来てそれまで一度も貸したことのない「砥石を貸してくれ」というので、自分が何に使うか尋ねたところ、秀生が「犬を殺して食うんだが庖丁が切れぬので貸してくれ」というので、自分のところの長さ約一尺・幅約三、四寸の仕上砥を貸したが、その砥石はその後同年五月頃用事で後藤方へ赴いた際同家の庭先にあつたのを持つて帰つた旨の各供述記載。(二)の調書のうち、自分は後藤秀生の妹みゆきと知合であるが、昭和二十七年の旧正月の七日頃の昼頃、たまたま病院から帰宅しようとしていたみゆきと共に後藤方を訪れたところ、みゆきが赤黒い色をした長さ一寸位・幅五分位の肉を持つてきて「こんなものが落ちていた」といつてそれを見せてくれた旨の供述記載。(三)の調書のうち、自分は判示菅生村大字今二百八番地に住んでいるが、藤井満は自分の娘の子供で自分の孫にあたり、満の母親になる自分の娘は大分県直入郡宮城村に住んでいる旨及び昭和二十七年の旧正月の元日の前日の午後三時頃藤井満が自分の家に来て、その日の夕方自分の家を出たが、同人はそのまま戻つて来なかつた旨の各供述記載)

六、証人大戸三郎に対する当裁判所の昭和二十七年十月三十日付証人尋問調書(特に、自分は昭和二十五年十二月から昭和二十七年六月二十日まで当時の国家地方警察大分県竹田地区警察署菅生村駐在所に駐在巡査として勤務していたが、昭和二十七年の旧正月の元日の朝松井とゆう青年が駐在所に来て佐藤卓夫方の牛がぬすまれたから来てくれと言うので、自分はそのことを竹田地区署の方に報告しその日の午前八時頃被害者である佐藤卓夫の家へ行つて犯人の侵入口等につき捜査をし、当時地面が氷つていたため牛の足跡やゴム長靴、ズツク靴、地下足袋等少くとも三人以上の足跡らしいものが地面に残つていたので、村の消防団員等と共にその足跡をたどつていつたところ、裁判所の昭和二十七年十月二十八日の本件現場の検証の調書別紙第一見取図記載の当時の後藤彦馬方北方の〈チ〉点までいつてそれから先は草原となつていたため足跡が残つていなかつた。その後同年四月頃になつて自分と小林刑事と竹田署の捜査係長とで後藤直、佐藤健一、佐藤卓夫及び保健所の技師等立会の上で後藤彦馬が住んでいた家の東方の畑の中から牛の角や骨等押検第百一号乃至第百五号その他のものを堀り出した旨及び当時被告人後藤守は吉村とゆう、被告人阿部定光は堀とゆう、被告人藤井満は吉野とゆういずれも変名を使つていた旨の各供述記載)

七、証人板井悟、同小林幸夫が昭和二十八年二月四日当公廷でした各供述(特に、後者のうち、自分は竹田署勤務の司法警察職員であるが、佐藤卓夫方の牛が窃盗にあつた事件の捜査に従事し、昭和二十七年六月頃当時の鹿毛方、元後藤彦馬方へその捜索差押のため出向いたところ、同家厩の左側の便所の中から押検第百十二号の牛の左角一本を発見した旨の供述)

八、後藤澄吉の検察官に対する昭和二十七年七月一日付供述調書(検第百七十号、特に、自分は後藤秀生の弟で大分県直入郡菅生村大字小塚字東田代の父後藤彦馬の家に住んでいたが、昭和二十七年一月二十七日の旧正月の元日にあたる日の朝、当時父は負傷をして竹田町の病院に入院し姉ミユキはその看護に行つていたが、起床して炊事場の横の茶の間に行つてみると、そこに兄の直及び秀生や吉村某、堀某、吉野某の五名がいて動物の肉らしいもののすき焼を副食として食事をしていたので、自分も右五人の人達と一しよにそのすき焼を食べたが、自分のところではその前日の一月二十七日の夜鰯を食べたことがあるけれども動物の肉を食べたのは菅生村に住むようになつてからはじめてのことであつた。それからその日即ち昭和二十七年一月二十八日の昼頃、自分の家の六畳の茶の間の西側の障子を開けたところから炊事場のまな板の上に厚さ十糎位、長さ二十糎位、幅十糎位の動物の肉がおいてあるのを見たが、やがて吉野がその肉を料理しまたすき焼にして前記五名の者及びその時来ていた後藤某と共に食事をした。ところがまたその日の午後六時頃自分が家の茶の間の東側の障子のところにいたとき、その日の昼頃見た肉より少し厚さが薄い位の肉を吉村が洗面器に入れて玄関から入つてきてそれを炊事場に置くのを目撃したが、その日の夕食も昼食のときと同じ顔ぶれの人と一しよに肉のすき焼で食事をした。そしてそれからとゆうものは、同年二月中旬頃までの間、一日おきか二日おき位に、主として朝か晩、主に吉野が料理をし大ていすき焼にして秀生や前記の人達と共に肉を食べたが、その二月中旬頃の夕方、自分が自分の家の厩舎と居宅との間の道の居宅の東北の角から五米位のところで遊んでいたとき、吉野が自分方厩舎の入口から肉の塊を入れた洗面器を持つて自分方居宅の入口の方へ向つて歩いているのを見たが、その日の夕食のときの副食もまたすき焼であつた旨の各供述記載)

九、証人坂梨義丸に対する裁判官の昭和二十七年七月一日付尋問調書(検第百七十四号、特に、自分は菅生村に住んでいて後藤秀生とは知合であるが、昭和二十七年二月二十日頃、自分が開墾に行こうと思つて自分の家を出ようとしているとき、後藤秀生が来て同人が牛肉をやろうかといつて新聞紙に包んだ二百匁程の肉をくれた。しかしその後四、五日して、自分が開墾に行く途中、後藤秀生に出会つた際、同人からこの間やつた肉はおれからもらつたというなといつて口止めされた旨の供述記載)

十、鑑定人板井悟が作成した昭和二十七年四月二十五日付及び同年六月十八日付各鑑定書(検第百六十及び百七十七号)

十一、司法警察員が作成した昭和二十七年四月二十三日付及び同年六月十五日付各捜索差押調書(検第百七十八及び百八十号)

十二、検察官作成名義の昭和二十七年六月二十九日付捜索差押調書(検第百七十九号)

十三、鑑定人松川武雄が作成した昭和二十八年九月十四日付鑑定書(但し、被告人藤井関係ではこれを証拠に引用しない)

十四、押収してある押検第百一号(併合前の当庁昭和二十七年(わ)第三百十五、三百十六、三百十七及び二百九十九号被告事件の押検第一号)の牛の右角一本、押検第百二号(併合前の右事件の押検第二号)の牛の頭部、骨及び牛の死体、押検第百三号(併合前の右事件の押検第三号)の牛の鼻ぐり、押検第百四号(併合前の右事件の押検第四号)のあげに綱、押検第五号(併合前の右事件の押検第五号)の手綱、押検第百七号(併合前の右事件の押検第七号)の獣骨十五個、押検第百八号(併合前の右事件の押検第八号)の獣骨一個及び押検第百九号(併合前の右事件の押検第九号)の獣毛の各存在

を綜合してこれを認め、

判示第七の事実は、

一、証人山村幸男、同松川武雄、同西野徳太郎、同大戸三郎、同渡辺義人、同深見暢人、同小林幸夫、同秋月転が当公廷でした各供述

二、当裁判所が昭和二十七年十月二十八日にした検証の調書(但し併合前の当庁昭和二十七年(わ)第二百八号被告事件の記録中)

三、鑑定人柴橋博展が作成した昭和三十年一月十六日付鑑定書

四、司法警察員が作成した昭和二十七年六月二日付検証調書(検第五十号)

五、検察官作成名義の昭和二十七年六月八日付実況見分調書(検第五十一号)

六、西野徳太郎が作成した雷管拾得報告書(検第四十六号)

七、国警大分県本部刑事部鑑識課長名義の「物件鑑定結果について」と題する書面(検第七十八号)

八、司法警察員小林幸夫が作成した昭和二十七年六月二日付及び同月三日付各領置調書(順次、検第四十一及び九十号)

九、司法警察員渡辺義人が作成した昭和二十七年六月二日差押調書(検第四十三号)

十、司法巡査秋月転が作成した昭和二十七年六月二日付領置調書(検第四十九号)

十一、司法警察員山村幸男が作成した昭和二十七年六月二日付差押調書及び領置調書(検第四十五及び四十七号)

十二、前掲検第三百六乃至三百十八、九十七、九十八及び三百十九乃至三百二十四号

十三、前掲押検第一、二、三の一、三の二、十二、二十九、三十、三十四、三十五、三十六及び三十七号の各存在

十四、押収してある襖(大)三枚(押検第二十二号)、襖(小)二枚(押検第二十三号)、腰掛一脚(押検第二十四号)、木片一箱(押検第二十五号)、硝子破片二包(押検第二十六号)、床板三枚(押検第二十七号)、雷管破片、硝子破片、砂塵埃等一包(押検第二十八号)、電球一個(押検第三十一号)、煙草の吸紙(押検第三十二号)及び油紙包(押検第三十八号)の各存在

十五、押収してある押検第四号の「当面の戦術と組織問題について」と題するパンフレツト、押検第六号の「一般報告」と題するパンフレツト、押検第十七号の千九百五十二年五月十五日付菅生村細胞発行ビラの各存在並にそれらの記載

を綜合してこれを認める。

(法令の適用)

被告人後藤秀生の判示各所為のうち、判示第一の(一)乃至(三)の所為は各爆発物取締罰則第三条に、判示第五の所為は刑法第二百二十二条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号本文、刑法第六十条に、判示第六の所為は刑法第二百三十五条、第六十条に、判示第七の所為のうち爆発物取締罰則違反の点は同罰則第一条に、建造物損壊の点は刑法第二百六十条前段(以上の判示第七の所為の各点につき刑法第六十条を追加適用する)に該当するが、判示第七の爆発物取締罰則違反の点と建造物損壊の点との間には右罰則第十二条の場合の関係があるから刑法第十六条によつて前記各法条の刑を比照して結局判示第七の所為については重い右爆発物取締罰則違反の罪の刑に従つて処断することとし、判示第一の(一)乃至(三)及び判示第五の罪については所定刑のうち懲役刑を、判示第七の罪については所定刑のうち有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条、第十条によつて最も重い判示第七の罪の刑に同法第十四条の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役十年に処する。

被告人坂本久夫の判示第七の所為のうち、爆発物取締罰則違反の点は同罰則第一条、刑法第六十条に、建造物損壊の点は刑法第二百六十条前段、第六十条に該当するが、この爆発物取締罰則違反の点と建造物損壊の点との間には右罰則第十二条の場合の関係があるから刑法第十条によつて前記各法条の刑を比照して結局判示第七の所為については重い右爆発物取締罰則違反の罪に従つて処断することとし、その所定刑のうち有期懲役刑を選択し、その定めるところの刑期範囲内で同被告人を懲役八年に処する。

被告人後藤守の判示所為のうち、判示第二の(一)の所為は昭和二十七年法律第十三号、銃砲刀剣類等所持取締令第一条、第二条、第二十六条第一号、罰金等臨時措置法第二条第一項に、判示第二の(二)の所為は爆発物取締罰則第六条に、判示第六の所為は刑法第二百三十五条、第六十条に各該当するから、判示第二の(一)の罪については所定刑のうち懲役刑を選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条、第十条によつて最も重い判示第六の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役三年に処する。

被告人阿部定光の判示各所為のうち、判示第三の所為は爆発物取締罰則第六条に、判示第六の所為は刑法第二百三十五条、第六十条に各該当するが、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条、第十条によつて重い判示第六の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役三年に処する。

被告人藤井満の判示各所為のうち、判示第四の所為は刑法第二百七条、第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条第一項本文に、判示第五の所為は刑法第二百二十二条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項本文、刑法第六十条に、判示第六の所為は刑法第二百三十五条、第六十条に各該当するから、判示第四及び第五の罪については懲役刑をそれぞれ選択するが、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条、第十条によつて最も法定刑及び犯情の重い判示第六の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役一年に処する。

刑法第二十一条によつて、未決勾留日数のうち、被告人後藤秀生、同坂本久夫に対してはいづれも八百日を、被告人後藤守、同阿部定光に対してはいずれも百二十日を右各本刑に算入する。

被告人藤井満に対しては、諸般の情状に照すと刑の執行を猶予するのが相当と認められるから、刑法第二十五条第一項によつて同被告人に対しこの裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用の負担については、各単独負担、平等分割負担の分につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を、各連帯負担の分につき同法第百八十二条、第百八十一条第一項本文をそれぞれ適用して主文掲記のとおり定める。

本件公訴事実のうち、被告人後藤秀生、同坂本久夫は、大戸三郎及び同人の妻大戸ミチ子を殺害しようと企て、共謀の上、判示第七記載の日時、場所において、同記載の爆発物を大分県竹田地区警察署菅生村巡査駐在所建物内に投入し同爆発物を爆発させたが、右大戸夫婦には爆発物が当らなかつたため、同人等を殺害するに至らなかつた旨の各殺人未遂の点は、右被告人等がいわゆる殺意をもつてしたとゆうことについての証明が十分ではないから、犯罪の証明がないことになるが、この点と判示第七の爆発物取締罰則違反の点及び建造物損壊の点との間にはいずれも右罰則第十二条の関係があり、右爆発物取締罰則違反、建造物損壊の点につき判示第七記載のとおり有罪の認定をしたのであるから、この殺人未遂の点については特に主文において無罪の言渡をしない。

なお、当裁判所は、本件公訴事実のうち、被告人後藤守が治安を妨げ且人の身体、財産を害しようとする目的で、昭和二十七年三月上旬から同年六月十日頃までの間、判示第二の(二)記載の場所において判示押検第百五十一号の爆発物一個を隠匿所持していた旨及び被告人阿部定光が、前同様の目的をもつて、判示第三記載の日時、場所において、判示押検第二百一号の爆発物一個を所持していた旨の点をそれらと各同一訴因の範囲内で判示第二の(二)及び判示第三のとおりそれぞれ認定した。

それで主文のとおり判決する。(昭和三〇年七月二日大分地方裁判所)

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